老人クラブの被災地支援旅行でいわきへ行ってきた。太平洋戦争末期、世界初の大陸間弾道弾と謂われた風船爆弾の放流地(岡倉天心の記念館近く)を見学こんにゃくと和紙で作った直径約10mの気球に爆弾、焼夷弾をつるして上空10,000mのジェット気流に乗せてアメリカ本土へ向けて放流したという。
9,000個放流し300個がアメリカ本土へ、僅少だが山火事や送電線の被害で原子爆弾の製造に後れを見たという。アメリカでは極秘で処理されたがオレゴン州では死者の慰霊碑もあるという、日本でも水素ガスを詰め込む際の事故による犠牲者がでたという、私の記憶でも日立の鉱山で社宅上空を真黒に赤い日の丸の気球が切れたロープを下げてふわふわ飛んで来たのを記憶にあります、しかし戦争はむなしくはかないものです、もう二度と起こしてはならないでしょう